第4条 陽気な人
第四条 陽気な人
草花が光の方へ、光の方へと枝葉を伸ばすように、人は明るい人へいつ知らず親しみを覚える。暗い人には近づきにくい。明るい人の周囲には温かい雰囲気がただよっており、暗い人の周囲には冷たい風が吹いている。
陽気な人間は陽気であるだけで人を温め、励ます力を持つ。暗い人間は暗いというだけで人々を冷やし、萎縮させる。和と差の相違がある。 明るい人には幸運が近づき、暗い人には不幸が追いかける。
ネクラの赤ちゃんを見たことはないでしょう。赤ちゃんは幼気です。それは陽気に通じます。私たちは、本来、ネアカなのです。なのにいつしか、自分で暗い自分を作ってしまってはいないでしょうか。
「あの人は陽気だ」や「彼(女)は明るい」といわれる人でも、「いつもそうか?」というとそうでもありません。つねに陽気を保つことは案外難しいことです。ネアカと自称している人でも、時にはそうでなかったり、結構人前で飾っていたりします。どんな場面においても陽気な人というのはなかなかいないものです。
「子供らと手たづさはりて春の野に 若葉をつめば楽しくあるかな」
と楽しそうな良寛さんでも、実は、隠遁生活を自嘲し、食を乞(こ)うことには深い悲哀と焦燥を感じていたようです。
陰気な人は十のうち九までが成功しても、この九に感謝せずに、一の失敗に腹を立て、逆に陽気な人は、災難に苦悩しつつも悲しみが少なく、一の成功でも喜び感謝して、自分を明るい気分にするものです。
陽気は朗らかさに通じます。朗らかさは陽気+快活さです。
それを身につけるには少し意志の力も要るし、人間的な修養も必要です。つまり、
だれからみても、つねに朗らかな人になるためには、運命をあるがままに受け入れ、ものごとに積極的に対処して苦境でも挫けない、自分らしい生き方をしようとする人です。しかも人の生き方も尊重し、努めて人との調和を図り、実行する人です
運命に背を向ける人には、だれも寄りつきたくありません。
古語に「良く笑うものは幸福だ。多く泣くものは不幸だ」とありますが、いつも幸運を呼び寄せ、不幸を近づけない日々を送りたいものです。
しかし、笑いが多いから朗らかだとは限りません。ギリシャの哲学者エピクテートスは「大笑いするな、多くのことを笑うな、しまりなく笑うな」(『人生談義』)と下手な笑いを戒めています。何に対してどんな笑いをするか?に人間の程度が現れてしまうのです。テレビなどで、何にでも大笑いの誘惑から逃れてみると、自分をクスクス笑えます。ほんとうは暗いエセ陽気者に気をつけましょう。
私たちが会う人ごとに素朴で自然な、誠実な親しみをもって接しようとすると、相手と必ず陽気で朗らかな関係が生まれます。子供の頃の善良な気持ちになれるのです。それ程与えるものはなくとも、ささやかな親切や優しいことばは、誰にでも、いつでもそしてどこででも差し上げることができるのです。それが陽の光として暗い心を少しでも明るくすることでしょう。
ドイツの哲学者ショーペンハウアーは「幸福を与えるものは朗らかさ以外にはなく、無上至高の財宝である」とし、続けて「朗らかさにとって富ほど役に立たぬものはなく、健康ほど有益なものはない。完全な健康から朗らかさが花と咲き出るように心がけるがよかろう」(『幸福について』)と健康を、富・栄華・名声ましてや淫蕩や快楽など、どんなものよりも優先せよと元気付けてくれます。
そこで自分の力で健康を維持増進することは、人間としての義務です。つまり、できるだけ長く二本足で立ち、歩き、頭脳を明晰にして人生を貫こうとすることは、人間の使命なのです。生活習慣病とは、人生怠慢病であります。自分が健康への努力さえ怠らなければ身近な人に不安や迷惑をかけることが少しでも避けられ、あるいは遅らせることができるのです。メタボリックシンドローム(内臓脂肪症候群)になるような人は、陽気になれるはずはなく、好かれることから次第に遠ざかる悲哀を実感するでしょう。
昨日は下向き、今日は俯(うつむ)き、明日は後ろ向き・・・だからは嫌われる」