だから嫌われる 第12条 機械のような人間
謹賀新年。
本年もよろしくお願いいたします。
第十ニ条 機械のような人間
「まるであいつは機械みたいな人間だ」とよく悪口をいう。ところが機械になり切ることはまた難しいことだ。
機械になったり、人間になったり、勝手気儘にされるよりは、まったくの機械になって、狂わず働く方がどれほど能率がいいか知れない。つまらぬ理屈をのべて怠けている人間に較べれば、全能力をあげる機械の方がはるかにましだ。
精密な機械のように落ちなく働く人間、こう言う人間はまた見事だと思う。
ものごとをきちんきちんと黙って片付けていく人はすばらしい人です。ずぼらなことでは人後に落ちない自分を省みるにつけ、そんな人を尊敬します。
以前、コンサル会社に出向したとき、セミナー案内を千部ほど発送する仕事もやりました。「3枚をセットにして三つ折りにし、封筒に入れて封をし、住所ラベルを張る」という一連の単純作業です。
最初は、要領が悪く捗(はかど)らず時間がかかるばかりでした。そこで、作業順に一列に並べ、さらに封筒は裏向けたり、置く場所を変えたり、角度を微妙に調整したり、各作業を分解してスムーズに流れるよう工夫したのです。そして、ひとつできる単位時間を計り、何分で何通作るかの目標を立てて実行したのです。そのために全力を集中し、小まめに手を動かし、安定した作業を試みました。ところが単純作業なのですぐ飽きるし疲れるし、またちょっと気を抜くと端(はし)が揃(そろ)わなかったり出来上がりがまちまちになるし、セットがずれたり、折り方が粗雑になったり、ラベルが曲がったり・・・。するとやり直すのに手間がかかり余計な時間をとられるのです。
そこで機械の優秀性が身にしみてわかりました。まず、時間が正確だし、やることは精確だし、とにかく飽きることなくいつまでも続けることができるのです。その時正直に「機械になりたい」と思いました。
そこで、人間が機械になろうとするには、▽集中力がカギ。集中力が持続できず間違う。他のことを考えないこと。
▽ いやな顔をしない。機械はいつも平気である。
▽ 創意工夫を入れると楽しい。機械は同じことしかしない。
▽ 大義を考える。単に封筒づめと思うと意欲が落ちる。「これを待ってくれている」と思ってお客様の顔を浮かべる。「これを出さないと参加してもらえない。すると自分の生活が成り立たない」など仕事の意義を自覚する。
そして、「お客様からいただく利益だけが自分が生きる源泉である」ことを肝に銘じると機械に近づきことができます。
さらには、ちょっと空きスペースに「誘いのひと言」を入れると、少し時間はかかるが、単なる作業から魂の入った仕事へと高まるのです。
話は変わりますが、「機械のような人」と同じような意味をもつことばに「真面目(まじめ)な人」があります。通常、まじめな人といえば、正直な人・ウソのない人・几帳面な人という意味です。しかし、どこかバカ正直という皮肉を込めて言われることが多々あるものです。もっと言えば、堅物(かたぶつ)で融通が利かない人とか少し小ばかにした意味も響いてきます。
森信三著『修身教授録』に「真面目(まじめ)」に関する素晴らしい記述があります。それによると、真面目は「真(しん)の面目(めんぼく)」と読み、それを発揮することというのです。
そのためには、小さな仕事にも全力を投入する必要があります。機械のような人も同じく全精力を一個一個の仕事に注ぎ込んでいるに違いありません。八をするにも十、十のことをするにしても十二の力をもってこれに当る。「マアこれでもすむ」「こんなもんでイイヤ」という程度の生温かい生き方をしていたんでは、その人の真の面目の現れようはない・・・と真面目人間を激励しています。
機械のような真の真面目人間は、全力をあげて冷静に落着いて正確な仕事をしようとしますが、それに温かさをあわせもつ人はかけがえのない人です。
目立たなくても、静かに自分を発揮する人こそいずれ珠玉のような光を放ってくるでしょう。
どんな小さな仕事にも大義を見いだして、それを全(まっと)うしましょう。情熱のこもった温かい血の通った機械が理想です。
中途半端で無責任・・・だから嫌われる