第3条 怒らない
第三条 怒らない
絶対に怒らない。たいがいの事に驚かない。怒る必要のある事柄はあまりこの世にないはずだ。相手が怒らぬと信用すれば人々はなんでも言える。いくらでも甘える事ができる。怖いと思ったら正直にはなれない。偉い人ほど怒らない。怒らないからふところが深い。
「あの人は怒らない人だ」と言う評判と「あの人は怒りっぽい人だ」と言う評判では、その人にむいて行く人望がまるっきり変わってくる。
子供に好かれる人と嫌われる人がいます。同姓に好かれる人とそうでない人がいます。異性に好かれる人と嫌われる人がいます。あるいは、犬がなつく人となつかない人がいます。目下の人に慕われる人とそうでない人がいます。
それは、怒るか怒らないに大きく左右されるようです。子供は怒らない人が好きです。何を言っても何をしても怒らない人になつきます。だから、甘い甘いおじいちゃん・おばあちゃんがこの上なく好きなのです。私にも二人の孫娘がいるので、それを実感します。
また、偉い人ほど怒りません。気高い人ほど威張りません。なぜなら、本当に偉い人は普通のことでは怒る必要がないし、威張る必要もないのです。つまり、怒る次元が異なるのです。物ごとに対して容易に怒らない人とは、真の実力がある人かあるいはまったく鈍感な人でしょう。それもそのはず、2千年前に生きた古代ローマ皇帝アウレーリウスも「物事に腹を立てるのは無益なこと。なぜなら、物事の方ではそんなことはおかないなしなのだから」と笑っているのです。
つまり、本当に偉い人に、何か真剣にお願いしなければならない時には、思い切って行くことです。恐れることはありません。そのお願い・相談ごとがまっとうなものである限り、きちんと話は聞いてくれるでしょう。恐れなければならないのは、自分自身の志とその内容です。
しかし、私的ではなく、社会的なことに対しては、大いに怒らなければなりません。
政府の施策、学校のあり方など客観的なことに対して怒るべきことはたくさんあります。それは憤(いきどお)りであり、義憤です。ものごとに義憤を感じることは、大義に通じます。
近年、国民を代表し国を治めるべき政治家、地方に潤いをもたらすべき自治体の長、国家繁栄の仕組みを構築し、国民生活の利便性を高めるべき官僚、社員の能力発揮を助長し、会社成長を促進し、経済発展に寄与して社会に貢献すべき企業幹部などの不祥事の続出は、怒りを通り越して公憤激怒の域に達しています。私欲に眩み、果すべき義務をないがしろにするような偽(にせ)の偉い人は、卑怯を憎む日本の恥であります。藤原正彦氏は、「日本人のすべての人々が、惻隠の情や美しい情緒と形を身につけて、素晴らしい社会・品格ある国家を創ることは、祖国日本を救うだけではなく、世界そして人類をも救う」と力説しています。
さらに、自分自身に対して怒ることはいいことです。それは反省を促し、成長へのスイッチとなるからです。孔子でさえ、「一日に三度省みる」のです。いつも心の中を見つめて、「自分怒り」に精出しましょう。それは、自分を叱咤し、高める法でもあります。自分に怒れる人は自分に素直な人・向上心のある人であり、また自分を心から大切にする人なのです。
『怒りについて』を著わした古代ローマの哲人政治家セネカは
:
人間は、愛情をもつ が、怒りは、敵意をもつ
人間は、結合を望む が、怒りは、離反を望む
人間は、利することを望む が、怒りは、害することを望む
人間は、見知らぬ人も助けるが、怒りは、最愛の者たちをも襲う
と判りやすく比べ、続けて
「怒りは短期の気狂い。それを表すのは危険で愚かだ。
なぜなら、怒りは、絶世の美貌をも醜くするし、
平静そのものの顔つきから陰険な顔つきにする。
優美な姿が悉く怒れる人から去る」と注意しています。
そう思って、怒っている自分の姿を想像すると、ぞっとします。
すぐ怒る、すぐムカつく・・・だから嫌われる