『だから嫌われる』第8条 話し上手 聞き上手
第八条 話上手・聞き上手
話のうまい人はだれにでも好かれる。しかし聞き上手の人は、人にうまく話させる人である。われわれは話を聞くのも好きであるが、話するのもまた愉快なのである。人に話させないような人は、人の楽しみを奪う人でもある。会話の間中、自分の話だけを聞かせたいような人は、自分勝手な人である。話の中心が自分でないと気のすまないようなのは、我儘者(わがままもの)である。相手が聞きたがっている時に話し、相手が話したい時に話させる、融通性のある人。
話術の達人徳川夢声は「『ハナシは人なり』といい、『コトバは心の使い』と言います。ココロがそのまま言葉になって現れ、ハナシとなって、人の心に働きかけるので、良い話をするには良い心を持っていなければなりません。だから訥弁(とつべん)の人でも、心の良い人は良い話ができます。例えば幼児のハナシです。まだ、ロクに舌も廻らず、知っている言葉の数もわずかであるにもかかわらず、思わず大人が聞き耳をたてて、なんともいえない良い心持ちになるのは、幼児の心は神に近いからです。
また、ハナシは人格の表識ですから、他人から好意を持たれる人格を養うことも必要なのです。また、「ハナシには、個性の魅力が絶対に必要」なので「美しい表現」を工夫し、「間合い」や「声の強弱」を大切にする心構えが必要だと訓えています。
ところが、話上手の人は多いが、聞き上手な人はなかなかいません。なぜなら、聞き上手になるには相手の立場で考えてあげる思いやりの心、つまり孔子がいう「恕(じょ)」が必要だからです。さらに、プラスアルファも要ります。それは、少しばかりの「辛抱」や「忍耐」です。さらに、相手を観察し、時に頷(うなず)き、時に合いの手を入れ、時に口を挟(はさ)む・・・といった「意図的な配慮」を巧みに行う細やかな心遣いがなくてはなりません。
「聞いている」ことと「聞いてあげている」ことには大きな違いがあります。表現を換えれば、「聞き上手」より「話させ上手」と言う方がぴったりきます。といってもおべんちゃらを使って話させるだけでは、それを言われて喜ぶ部類の人たちにしか、通用しません。子供でも老人でも、偉い人でもそうでない人でも、聖人でも悪人でも、どんな人にでも「話させ上手」になれる人は、きっと心豊かな、優れた品格を持ち、深い教養を備えた、自愛に満ちた人でありましょう。 話は“放し”です。時空を超えて行く広がりがあるのです。
荘子に「これを聴くに耳を以てするなくして、心を以てせよ」とあります。 ちなみに、話好きな人は、話したい人の楽しみを奪っていることを忘れてはなりません。
さて、部下を持ちいっぱしのリーダーになれば、話がうまくても、部下が動いてくれなければ業務目標を達成することはできません。
そこで、意図を通じるためのコミュニケーションの要諦とは。
▽指揮官は自分の立場で考え、指導者は部下の立場で考える
▽指揮官は命令を伝達し、 指導者は命令を理解させる
▽指揮官は部下を働かせ、 指導者は部下を働きたくさせる
このような指導者になるためには、話上手・聞き上手を超越したひとりの人格者であるよう求められます。つまり、ある人徳が必要ですね。
この三つを念頭において、自分の役割にそれを当てはめると、上司・部下いずれの立場でも何かヒントが得られるものです。要は、権力によって無理に言うことを聞かせるのではなく、人徳によって自発的に理解し行動してもらうことが大切です。
「見ザル、聞かザル、喋(しゃ)べりザル・・・だから嫌われる」