だから嫌われる 第十条取柄のある人
第十条 取柄のある人
少々欠点が多くても、取柄のある人は人に信用される。その取柄だけは、誰にでも利用して貰える。実用はいつの世にも必要だ。なんの取柄もない人は、欠点がなくても人は取り立てにくいものだ。柄のないひしゃくは、いくら丈夫に出来ていても役に立たないと同じである。しっかりした取柄を持つ人は、それだけで個性的なのである。欠点を直す前に、取柄をつける工夫が第一である
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「有能な人」とは並みの人よりも優れた才能をもっている人です。頭の有能な人はいわゆる秀才、運動において有能な人はプロスポーツで活躍している人です。
しかし、こんな有能な人は少なく、比率にすればほんの僅(わず)かでしょう。それでは、多くの凡人たちはどうすればいいのでしょうか?
自動車は数万種類のパーツより造られます。ところが、エンジンやハンドルなど重要だといわれる大型部品が揃っていても、それを止める小さなねじが一本なければ完成しません。
つまり、欠くことのできない部品であれば、たとえ小さなネジ一本でさえエンジンなどと同じく、その重要性に変わりはありません。このことは、船でもパソコンでもどんな製品においても同じです。
よく考えれば、私たちもそうです。私たちは、家族や組織の構成員であり、日本・世界の構成員なのです。また、宇宙の部品とも言えるかけがえのない存在なのです。
そう考えると、私たちは生きていることに感謝の念をもち、生きとし生けるものすべてにそれぞれ役割があることを信じることになります。
ウエイン・ダイアーは「三つの言葉が私たちお互いが見えない関係を象徴している。その言葉とは
“alone(アローン)”(孤独な)と“ all(オール) one(ワン)”(すべてひとつ)、それにこの語を区別している“l(エル)”で、それは“love(ラブ) ”(愛)を表す。
宇宙のあらゆる細胞には一体感と共に孤独感がある。あなたはたったひとりの存在であると同時に、すべてのものと一体なのである」と地球上で共に生きる私たちの存在の意義を明らかにします。
そこで、何でもいい、何かで人の役に立つ取柄のある人になりましょう。特に実用の役に立つ取柄は貴重です。そうすれば、その実用価値に沿ってきちんとお金をいただけることになります。
私たちは有能である必要はありません。「有能な人」でなければ「有用な人」を目指すのです。つまり、学問から実用へ、学者からビジネス人へ、理論から実践への流れです。有用・実用とは取柄のこと、凡人に勇気を与えてくれますね。
だれでも何らかの優れた能力を持っているはずです。自分の「取柄」を見出し、それを磨けば、自分だけの取柄として高めることができます。さらに独自の砥石で、力強く、根気強く研磨すれば、だれにも負けない、いやだれもまねできない取柄になりましょう。そのためには知恵を出し、手間をかけ、工夫を凝らします。
そうすれはきっと実際に用いられる人、役に立つ人になることができましょう。つまり、大きなことである必要はありません。小さな範囲や狭い分野において、何かに有用な人物・実用に耐える人になることはできるはずです。
どんな小さなことでもいい。「役立つ人」はかけがえのない人、ESSENTIAL WORKERになりましょう。そこに生きている価値が眠っている! 「有能でなくとも有用」を目指すのです。
「人間の幸福は、自己の優れた能力を自由自在に発揮するにある」(アリストテレス)ですから、「能力の出し惜しみ」は、自ら「幸福」を自ら手放し、心にもなく捨て去っているのと同じでありましょう。
大谷翔平選手は、お金を求めて大リーガーを目指したのではないと思います。きっと、アリストテレスの訓えに沿って、内なるものの魂の命ずるままに従ったに違いないのです。
「できない」と言ってやらない、「できる」のにやらない
・・・だから嫌われる