ゴーン被告国外不法逃避についての一考察

ゴーン逃亡に関する一考察

広報・危機対応コンサルタント 山見博康

山見インテグレーター株式会社 代表取締役

1.ゴーン氏に同氏が名声を回復させるのにどのようなアドバイスをするか。

(1)本来受けている金融商品取引法違反の罪、会社法違反の罪への起訴内容に対して、潔白を主張するのであれば、それに足る十分な証拠を具体的に提示する以外にはない。

(2)自身が疑惑を招くような行為を行った事実があるから自分の逮捕となったものである。

2.ベイルートでの会見のよかったところ。悪かったところ。どうしたらもっとよかったか。

〇良かった点

(1)公式に記者会見を開いた

(2)自分の言葉で話した

  • 悪かった点

(1)メディアを制限した。特に日本メディアを都合の良いメディアにした。「私は不公平な人物である」との印象を世界に与えた。「自分勝手な人間」の烙印。よく、これで、大企業のトップをやってきたな!と一挙に信用を失墜させた。

・どんな不公平な人事を行ってきたか!

・Yes Manばかりで上層部を固めた、取り巻き=茶坊主ばかりを登用した!・・・ことを身を持って証明

(2)起訴内容に対し、無実といいつつ、それに相応しい内容の証拠を出していない。

・日本での疑惑

・フランスやオランダでの疑惑

日本だけを標的にしているが、複数の国での疑惑にも、証拠を出して答えていない。

(3)逃亡の理由を、法制度や家族との面会制限・・・と自分に不利なことを述べ立て、起訴された内容についての問題とすり替えようとしている。人道問題とかに訴えて、卑怯者である、との印象を与えた。

しかも、違法な方法で逃げた!ということは、二重三重の罪を犯していることになる。

自ら経営を行ってきた国への敬意、尊厳を蔑ろにする行為で、どの国においても通用す

るはずはない。

(4)国際企業は、当該国の法制度を中心にした国仕組みの中で経営する。

従い、諸問題が起きた場合、その法律に従うのは当然である。

さもなくば、その国での経営はできないし、その法に従わないのであれば、経営者にな

るべきではない。

それを、自ら破るのは経営者としての資格はないであろう。社員に対してどんな申し開

きができるのであろうか?

(5)自分の正当性ばかりを主張することにより、「真の人間性」を世界に知らしめた。

(6)日本との犯人引き渡し条約はないが、生涯犯人として追われ続けられる。恐らくフランスからも・・・。

(7)起訴内容に無実の証拠があり、それを主張するのであれば、当該国で行うべきである。証拠があり、無実の自信があるのであれば何ら問題はないはずだ。

しかし、それを違法な方法で逃れた、ということは、疑惑は本当だとの印象を世界の人々に一層自ら強めた。

3.日本でこうした会見を行うのと、海外でおこなうのと戦略に差はあるか。それは何故か。

(1)基本的に変わりはない。なぜなら、究極的には、人間の本質的な問題、人間としての在

り方の問題だからである。

(2)海外での戦略は次を考慮すべきであろう。

①宗教的背景:日本は仏教国であるが、キリスト教を初め色んな宗教を受け入れてい多宗教国家ともいえよう。しかし、他国は、キリスト教、イスラム教を初め全く異なった宗教が入り混じっている国が多い。

②国の成り立ち:日本は単一民族であるが、多くの国は合従連衡の歴史あり、多民族国

家故の宗教上の対立、民族の対立が強い国が多々ある。

従ってその歴史的背景や宗教・民族的対立の度合いにより戦略を変える必要がある

③政治的背景:国により政治の歴史、成り立ちが異なる。

4.このような危機対応は危機・戦略・PRの専門家にとってどの程度難しいか。

(1)関係国が2か国ではない。複数国の複数企業を考慮に入れて公式見解とQ&Aを纏める必要あり。最も難解になるのが、想定問答集Q&A作り! 何故なら、質問予測が多岐に渡って考慮せざるを得ないので、その分難しい。

どんな質問が出るかを予測するには、歴史、宗教、民族、慣習、文化・・・に相当配慮、多角度から考慮する必要あり。

(2)公式見解としてどこまでをニュースリリースに書面で残すのか? どこまでを口頭説明で済ませようとするのか? この範囲の想定が難しい。通常、語尾の表現に戦略・意図・意志が露呈するが、そのニュアンスの出し方が難しい。同じことを言ったつもりでも、ある国のジャーナリストにはこう解釈され、別の国ではあのように理解される・・・・。

(3)メディアの政治色によって解釈とその報道のトーンやニュアンスが変わるので、注意を要する。

5.その他、私見

(1)レバノン政府の関与は不明だが、非合法的に出獄した容疑者を、合法的に入国したから、受け入れるとの論理だが、金持ちしかできない脱出―受け入れの一連の事件が一般の市民にどう映るか? これは政治的リスクが高いものとなろう。

既に一部いや相当なレバノン国民の反発・批判が報じられているが、レバノン国民の今後の反政府運動が激しさを増すのではないかという懸念あり。世界中からレバノン・或いは国民への信頼を失ったと思う。

(2)私は、神戸製鋼鉄鋼輸出部在籍時1977年から2年間カタールドーハ駐在、カタール政府との合弁事業「カタール製鉄所建設プロジェクト」に従事。総務・営業担当マネージャーとして政府との交渉にもあたった経験あり。

その時、社員採用にレバノンに出張し多くのレバノン人を面接し、数十人のマネージャークラスの採用を行った。印象としては、レバノン人は頭脳明晰、実直勤勉!

採用後の仕事ぶりも評判良好であった。そんなレバノン人が、多額の金を横領したことや身内や私腹を肥やした容疑で国際手配され世界にレバノン人の恥晒しとなっているゴーン被告をレバノン人として認めているのか? 大いなる迷惑ではないか?との懸念を抱く。

(3)海外広報も変わりはないとしているが、これは私が世界3か所(中東・南半球(豪)・北半球(独))で10年に亘り駐在、アジア・アフリカを含み50か国籍近くの国々に公私で訪問した経験を踏まえての考えである。

どの国でも、人間としての王道を歩み、言動する! 人もそうだし、会社も同じ! 国・伝統・民族・宗教・・・が変われども人間としての在り方は本質的に同じであるとの信念あり。現在、色んな危機対応のアドバイスを受けているが、全てこの考えてアドバイスし、自分でも実践して好結果を得て喜ばれているので、自分の考えに間違いないことを確信している。

6.海外と日本の違いについて。

(1)海外特に欧米は、競争・勝敗・対立文化、日本は和・協調・協力・忖度文化ともいえよう。従い、日本ではディベート教育がないと言ってもいい。つまり、欧米は相手の弱点を徹底的に突き、自分の弱点を完全否定する傾向にある。日本では、それよりも、人間の品性・誠実・卑怯・面目・恥・潔さといった面を意識することにより、相手を叩きのめすような発言は嫌われ、又受け入れられない傾向にある。

(2)今回、それが歴然、自らの非を一切認めず、自分の強み(実際にはないが)というより、(法制度やサインした取締役等)日本側の弱点・不備・・・だけを徹底的に追及した。今回それが露呈した典型的事例であろう。

しかも、身振り手振り、相手をまくしたてる口調で一切の妥協をしない。詫びる!等の気持ちはさらさら見せず、激しい口調で自らの主張だけを繰り返した。

(3)本来、自ら疑惑を招くようなことをしたことが全ての根源であるにも拘らず、その正当性を強調するが証拠はある!といって恰も今は出す段階ではない!という印象を与える自信ありげに振舞う。こういう態度に、内実を詳細に把握していないメディアは、心情的に騙される。それは、その後の海外メディアの論調やインタビューでの印象でも顕れたのである。

(4)日本では、大問題を起こした機魚や責任ある地位にいる人物や当事者は、記者会見に臨む場合、

先ずは、起きた事、起こした事に対しては、お客様や社会に対して、責任が明らかになっていない場合でも!

・詫びる姿勢を示す

・最初に詫びの言葉を述べる

・傲慢姿勢にならないように、若干俯いた姿勢で言動する

勿論、責任があります!とは言わないまでも、そのような姿勢で臨むのが通常・・・慣習となってる。

これは、上記に述べた、「あの人は誠実でない」「卑怯者」「人間としてあるまじき・・・」「恥晒」と思われないようにする方が大切。さもなくば、論理以前に、与える印象に悪影響を及ぼす。

(5)もし、ゴーン被告が、日本で同じ様に振舞ったら? 勿論、証拠なく、あのように言動したら・・・。成功しないであろう。日本では、むしろ、低姿勢で責任ある発言を回避しつつ、反省的な言葉を混ぜつつ、確固たる証拠を元に冷静に主張する方がいいであろう。

(6)私が、誠実=Sincerity、Integrity は世界共通、と言ったのは、長期的にはそうあるべきだし、きっとそうなるものだ、と思うから。

今回も、一時的には、ある一定のメディアの歓心を買うことに成功したかも知れないが、ゴーンが行った実態が、本当の悪事が欧米でも正確に報道されるようになっていけば、きっと世界の世論もそう傾いていくであろう。

・国内でも貧富の差が激しく、反政府運動がより高ま  るであろう。政府に迷惑をかけるとなると政府も庇  うことができなくなる。

・禁じられているイスラエルへの渡航が訴えられている。過去の例から15年の禁固刑MAX

・今住んでいる家も日産保有の家・・・立ち退き手続きが取られる

・フランスルノーも訴えている

・オランダでも・・・・ 至る所からゴーンにとって不利な事実が暴かれ、法的手段に訴えられることになろう。 レバノンでも暗殺の危機あり、亡命はできず、政府も良好な国際関係を気にすれば保護はできなくなる・・・。

レバノン人にとっても、自分も海外に出たら、卑怯なゴーンと同じレバノン人?と見られることに、誇りが持てるのか? 恥ずかしいではないか! そんなことを良識あるレバノン人が許すはずはなかろう。

ゴーン被告は、まともには、一歩も外に出れないはずだ! 「非国民」とののしられる恐れがあるからだ。

しかも、フランス人・ブラジル人のパスポートを持ち、都合のいい国民を名乗る! それをどの国民も良く思うことはなかろう。

本当に無罪と主張するのであれば、日本で早く証拠を出し、直ちに裁判が開かれるように協力することが筋だし、犯罪を犯したのであれば、「懺悔・告白」して、神の赦しを受け、潔く刑に服し、その後、私財を投じて国際貢献を行う・・・とすると歴史的物語の主人公にもなれよう。

(7)以上から、ゴーン被告の将来見通しは、本人と妻の期待にそぐわず、レバノンにおいても、暗黒の人生となるかも知れない。世紀の国際ビジネス成功者、英雄から一転、極悪人どころか、自律心欠如、不誠実、騙し、卑怯、恥、身勝手、思い遣りのなさ・・・あらゆる人間的な欠陥保有者的人物の典型として名を残すことになろう。

これらは、民族・宗教を超越した「善」「徳」である。

アリストテレス時代からこれらは当時の規範であったことが、古典にも記述されているし、旧新聖書・コーラン・・・どの宗教でも源流は同じである。

長期的にみれば、それらが正しいから、宗教の教えとして永遠に続いているのである。

今回の件は、歴史の審判を待たずして、早晩、自ずと世界の人々に何が・誰が「善」かが判るでしょう。

このような人物に日産・ルノー・・・が支配されていたとは! 経営者は敬愛される「善」「徳」を持つ人物であることが、長期的な必須条件なのである。改めて判明した。