第5条何ごともこだわらぬ
第五条 何ごとにもこだわらぬ
われわれが重苦しい気分になるのは、何かにこだわるからである。「あんな失言をしたが気にさわりはしなかったかなあ」とこだわりはじめると夜もよくねむれないが、 「あの人間はつまらぬことにこだわる人間じゃない、独り相撲はおかしい」と思えるようなら気は楽だ。何事にもこだわらぬ人間は人の心をも開放する。
こだわる人間は誰の心でも片っぱしから縛って行く、人をのびのびさせるような人はこだわりのない人だ
日々話す相手には、家族・友だち(異性も)・目上の人・お客様など仕事上の人など、実にさまざまです。
仲のいい友達と会って話す日ごろの何気ない会話においても、「少し相手の気分を害するような言葉を使った場合など、別れた後に、そんな自分の発言が気になることがあります。「友達だから、いいじゃないか。きっと真意を判ってくれるだろう」と思っても、「いや、友達だからなおさら気にしてるんじゃないかなあ」と余計に気になるのです。
「あの時は、ああ言ったが、こう言ったほうが良かったのではないか?」と
悔やまれることばかりです。
「あの方はそんなことにこだわる人ではない」と思える人でも、本当にこだわってないのか何かの機会をつくって確かめたい心理になります。そして、理由を考えて電話する時には、小さな胸が高鳴ります。その第一声のトーンに全身の血が集まる思いです。
そこで、相も変わらぬくったくのない声に接したとき、内心の安堵感はいか
ばかりか!つい、その後の会話における自分の声の上ずりを気にする方がいい
くらいです。
そんなことがあれば、その人をもっともっと好きになることうけあいです。
さらに、尊敬の気持ちは敬愛の念へと高まることでしょう。
人間は、高等動物であるが故に、心にいろいろな「こだわり」を抱きます。
▽ 富・お金や物・・・一流ブランド商品・好きな食べ物
▽ 大きな名誉や権力・・・地位・役職・褒章
▽ 不断の享楽・・・遊び・ばくち・酒
ところが、このようなものは普通多くの人々が求め、何がしかの満足を得ることはできます。
しかし、富を得ても使い方に無教養を露呈して嘲笑(あざわら)われ、つねに無くなる不安と恐怖におののくのです。また長年にわたる権力の座への強いこだわりから、次第に醜態を晒して晩年を汚す愚を犯して闇夜に消える世の儚(はかな)さにひとり涙するのです。しかし、人間として持つべき望ましい真のこだわりとは、次のようなことでしょう。
▽ 道徳的信念や使命感を抱くこと
▽ 人徳や優れた教養・品格を身につけること
▽ 精神および肉体の健康を求め、維持増進を図ること
▽ 適性のある仕事とその自由自在の発揮を生き甲斐にすること
これらの気高い追求に上限はなく、悠(ひさ)しくこだわりを持ち続けることは社会への貢献であり、人生の妙味です。
「般若心経」にある「色即是空(しきそくぜくう)」の「空(くう)」とは、
かたよらないこころ
こだわらないこころ
とらわれないこころ
ひろく、ひろく、もっとひろく
これが般若心経 空のこころなり
こだわり過ぎる人は嫌われます。
とはいっても、「自分にはこだわる人」でなければなりません。
かたよる、こだわる、とらわれる・・・ だから嫌われる