『だから嫌われる』第17条 常に喜びを持っている
『だから 嫌われる』
第17条 常によろこびを持っている
何が嬉(うれ)しいのかと思うほどよろこんでいる人がある。会っているうちに自分のほうまでなんとなく嬉しくなるような人があるものだ。
ちょっとしたことにも、よろこびを大きく感じている人である。これは幸せな性分(しょうぶん)である。こう言う人は自分の生活の中によろこびを作っていく人である。よろこびを作る才能のある人間は、禍(わざわい)をさえよろこびにしてしまう。何時も笑っている。楽しんでいる。失意の人や元気のない人をはげまし、希望を持たせてくれる人である。
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真に明るい人とは心の中に別のよろこびを持っている人ではないでしょうか。それは、精神のよろこびです。宗教的喜びはそのひとつ。さらに、信じるもの・信じている人のできるだけ近くにいて、その人のためになることをする・・・、これも大きなよろこびのひとつです。
その人が上司やトップである場合には、会社内において、いつも誇りと勇気をもって、しあわせに仕事ができ、人知れぬよろこびを見出すことができます。上に立つ人物に足る者は、そのように信頼され目標とされるようにならなければなりません。
もっとも愛する人のためにわが身の限りを尽し、その人が喜ぶ顔を見ることが無常のよろこびとする人も幸せです。それは、赤ちゃんを抱く母の姿でもあります。
『常用字解』(白川静著)のよると「好」という字は「甲冑文字には、女が子供をを抱く形や母親が子供を抱く形があるから、元々母親が幼児を可愛いがることを表す字」となっています。
自分の境遇を甘んじて受け入れ、それを積極的に克服することによろこびを感じる人もあります。こんな人はいつも明日への期待に胸をときめかし、どんなことでも敢然と立ち向かい、勇気をもってこれを打ち倒していく強い誇りや自負心を抱いている人でもあります。
日々起こることに一喜一憂しないことです。なぜなら、大小様々な災難は毎日こちらの意志・都合に関係なくやってきます。
「時々刻々にわれわれを悩ます小さな災難は、大きな災難に耐
える力が幸運のあまりにすっかり衰えてしまうことがないよ
うに、われわれを絶えず訓練するためにあるのだ」
(ショウペンハウエル『幸福について』)
災いから逃げず、立ち向かうのです。好転の可能性・兆しがある限り決して絶望視せてはなりません。
「災いは避けるな、雄々しく立ち向かえ。されば猛(たけ)く生
きよ。猛き胸倉を運命の矢面(やおもて)に立てよ」
(『幸福について』)
こうして苦しみの中に小さな幸せを見出す人が真の幸福を得る人です。
それには、自分を他と比べないことです。自分を信じ、自分の心との絶対評価を喜ぶことです。
自分に与えるものがない人はいません。何もないと思っても、笑顔はあるはず。穏やかに話すことはできるはずです。才能・貧富のいかんにかかわらず、誰にでも和(なご)やかに接することはできるはずです。
「春風のなごやかさをもって人に接し、
秋霜のするどさをもって自ら粛(つつし)む」(『言志四録』)
と佐藤一斎も励まします。
つねに春の風にようにさわやかな笑顔で人に接するには、いつも何かによろこびを感じていなければ、そうは実行できないことです。喜びを作る才覚を磨きましょう。それには何の資金もいらず、何ら人に迷惑もかけることもありません。貧しくても、苦しくても笑顔を忘れずに、相手に与えることは出来るかもしれません。
自分に真心さえあれば、少しの意志と実行力でできることなのです。自分を大切にできない人は、他人も大切にできない人です。逆も真なり!
森鴎外は、人と会う時「儀容(ぎよう)を保つ」(『知恵袋』)ことの大切さを教えています。成り・形をきちんと整えるのです。「儀容整った人」という評判は誰からも好意を持って受け入れられます。人と相対する際には、自分の顔つきや姿勢、声の調子や話振りを省みて十分注意を払い、いつも晴れやかな機嫌のよい顔つきで接するように心掛けましょう。
石原裕次郎さんに可愛がられた俳優顔岡五郎さん(国際魅力学会理事長)から教わった素敵な言葉を思い出しました。
「自分の顔を本当に見た人は誰もいない。
(自分の顔は自分で見ることはできない)
顔は相手のためにある!」
喜びを出し惜しみ、笑顔も出し惜しむ
・・・だから嫌われる」