『だから嫌われる』第9条 相談相手
第九条 相談相手 相談ごととなったらかならず逃げる人がある。自分の力で出来ないことも、なんとか道を開いて知恵を授けてくれる人、こんな人を誰でものぞんでいる。「あの人に話せば道はある」と信じてもらえる。しかも独りぎめにせず、相手の立場をとくと考えて、あれこれとまめに心を働かせる。 相談上手の人は、自然世の中の事柄に明るくなり、頭の中で人々の生きた経験をそのまま繰りかえすから、いながら苦労人となることができる。 |
人間誰しもまともに生きて行こうとすると、かならず師匠が必要です。先ずは両親が先生です。そしてプラトンにソクラテスが、西郷隆盛に佐藤一斎がいたように、どんな英雄でも、だれかに教えを受けて成長し偉大になっていくのです。だから凡人においてはなおさらです。
人は、表面上は立場や役職・年齢に応じて、威厳を保ち、何らの心配亊はないかのように振る舞ってはいますが、何かにつけて人知れず迷い、苦しみ、呻(うめ)いているものです。ほとんどの人が「自分は弱い人間」と思っています。そんな時にちょっと相談できるひとが身近に居るのとそうでないのとでは、人生の過ごし方がまるで変わってきます。
東洋思想の先覚者安岡正篤は、「人生は独りではとうてい真に確立できるものではなく、成長するに従って、常に慰め、導く師友が必要である」(『いかに生くべきか』)と訓えます。
つまり「我々は常に権威ある人格、品性、気魄(きはく)、才能に接し、良い方向へ導かれ、育てられて、はじめてようやく自己を充実し、洗練し、向上させることができる」のです。明師(めいし)良友(りょうゆう)は、私たちの豊富な潜在能力を引き出し、王道へと鞭打ち、本質を見る目を徹底的に理解させてくれるのです。
相談したときに親身になって応えてくれる師友は、実にありがたいものです。こちらの心情を察して解決策を一緒になって考えてくれるだけでも、たとえそれが効を奏さなくても、何ものにも換えがたいひとときとなります。そんな人は好きになるというより、尊敬というか、ときにはそれを超えて敬愛の念にも高まります。いわば仏さまのような人ともいえましょう。 それぞれ振り返ってみれば、子供時代、学生時代、会社時代とそのときどきで、相談できる師匠や信頼できる友人が居たのではないでしょうか。
今のことばでいえばメンターですね。もし、そんな人なしに順調に来られた人は、今までは幸せだったと言えますが、苦労もなく過ごした人の人生がそのまま続くことは稀(まれ)であり、必ず何らかの苦難が襲ってきます。
人生の豊かさとは、そんな苦難に耐え、あるいは潜り抜けるために、どれだけ優れた師友をもっているかの数に比例するのかも知れません。
そこで、どんな師友が望ましいのでしょうか? そのためには、人を本質を見抜く目を養うことです。人を知る法七か条として次の点を問うてみるといいでしょう。
- その人がどんな人生の目標を持っているか? 自営でも会社務めでも芸術家でも最終的に何をしたいのか?
- どんな人を師(匠)としているか? 何人でもどんな分野でもいい。
- 何を成したか? 生い立ちを含めた経歴はどうか?
- 何に、どの位、どんな時に、喜・怒・哀・楽を表すか?
- どんな本を読むか? どんな著者を好むか?
- どんな年配者に可愛がられているか? (引き立ててくれる先輩や上司がいるか?)
- どんな友人がいるか?
人と会う機会があれば、このような点を聞いてその反応やその内容を味わい、悲しい話や面白い出来事に対する発言や表情などを観察してみることです。その人と成りがわかることでしょう。
ただし、これも自分という度数の合わない?曇りがちの「色めがね」でしか見てないことを忘れてはなりません。その色彩や度数を差し引く必要があるのです。力で成し遂げたと錯覚し、感謝の念を忘れがちになります。
人さまの相談にのることはなかなか難しいことですが、もし、相談を受けたら、自分では解決できないと思っても、なんとか知恵を授ける努力はしてあげたいものです。それはひとりの人生の足元を照らすランプの役割を果すことです。
親身になって相談に乗れば乗るほど、人生を共に過ごすことになるので、二十の経験ができることになり、自分の人生や考え方に幾分かは深みや厚みが増すことになるでしょう。
「四十にして惑わず、五十にして天命を知る」とは孔子の訓えですが、実際にその年になってみると、自分の中にある成長してない幼稚性に思わず自嘲(じちょう)することになります。天命を知り世の中に役に立つ人物になるためには、できる限り高い人間を目指さなければなりません。
「高い人間とは、頭上に自分より高いものを持っている人」(ドイツ社会学者ジンメル)であり、地位や貧富とは無関係なのです。これならいつでも誰にでも高い人間になれる勇気がでます。
日々の困難を克服することが人生。幸せはその過程で見出すものです。つまり、人の悩みを共有し、共にそれを克服しようとする行為は、他人の人生をも生きることになり、他人が得られない心の幸福を得るでしょう。暗いところで青い鳥を探す人には、明るいランプが要るのです。
相談にのらない、のれない、のろうともしない
・・・だから嫌われる