『だから嫌われる』第30条有終の美を結ぶ
『だから嫌われる』
第三十条 有終の美を結ぶ
親切も三日坊主の多い世の中だ。小さい親切、小さい仕事にもきちんきちんと、ピリオドを打って行くような人、一つ一つにくぎりをつけて片付けていかなくては気のすまないような質(たち)の人は、すっきりとしていて気持ちがいい。 交際しても一緒に仕事をしてもすがすがしく、交わりにも仕事にもリズムができてここちよい。こう言う人もなかなか少ない。
「有始有終(ゆうしゆうしゅう)」とは、いったんやり始めたら最後までやり遂げよという中国の訓(おし)えです。囲碁は最後の一石、将棋は詰めの一手で終わり、著作も文末の句点で完結します。すべて、有終の美といえましょう。
絵画、書道などの芸術の世界もそうです。スポーツの世界でも、超一流のフィニッシュの姿はどれも限りなく美しく見事な芸術品(アート)そのものです。
たとえばゴルフではタイガーウッズや大谷翔平のスイングは誰が見ても佳麗そのものです。
仕事でも同じ。毎日毎日の小さなわずらわしい仕事でもきちんきちんと片付けてこそ一日が終わります。地位が上がれば上がるほどつまり優れた人ほど、仕事が多くその種類・軽重も複雑になってきます。この一見雑用とも言えるような仕事の仕方に大いなる個人差が現れます。小さな仕事にもどのように立ち向かうのか? その姿勢や考え方に、人それぞれがもつ人間としての心構えや人生観が明らかになってくるのです。
森信三は「雑務と思うから雑務になる。それを心をこめてやることが自分の修養になる」(『修身教授録』)と力説。この精神で仕事をすることは、下手な座禅よりもよっぽど深い意味を持ってくるそうです。
新渡戸稲造は「仕事はどんなに小さくても、これを大きな割り出しからやる。箸の上げ下ろしのようなことでも、もしこれが何か他人の為に尽くすとか、方向の真心から出るものとすれば、その仕事自体は小さくとも、うんその中に含まれておる意味は大きい」と「大事に処する道は小事の修養にあり」「小事を積んで初めて大事を行う力ができる」(『修養』)と普段の物事に対する姿勢を重んじています。
どんな仕事への取り組みも同じ、何等変わるところはありません。しかし、それを実行する上で大切なことは、仕事の軽重をよく考え、優先順位をつけること。そうして目の前の仕事に積極果敢に取り組み、断固とした心構えでこれをやり遂げて区切りをつけていく人は、かけがえのない人です。
そのためにはどんな仕事をするにも「いつまでに?」と訊くくせをつけ、それを守り、仕事にピリオドを打つことに、喜びを見出すことが大切です。なすべき仕事を間髪いれずに次々と片付けることは早く達成の喜びを集めることになります。その数が増える楽しさも倍加します。早く終わってギアチェンジをするのです。そう心がけることによって、どんな仕事にも誇りを抱き、勇気をもってやり遂げることができるでしょう。
ヒルティは、『幸福論』の最初に「人を幸福にするのは仕事の種類ではなく、創造と成功の喜びである」とし、「人間の力はそれらをつぎつぎにひとつひとつやりとげて行くことしかできない。だから、いつもただ今日のために働くという習慣をつくるがよい、明日はひとりでにやってくる、そして、それとともに明日の力もまた来るのである」と結んでいます。
一日を一生と見て生きましょう。朝、起きるときに産まれ、昼になり青年時代を迎えて大いに働き、収穫をもたらして、老年になり夜になって眠りにつき、小さな死を迎えます。
「暗黒のなかでは、我々の想像力は、明るい光におけるよりもたくましく働くのを常とする」(カント『啓蒙とは何か』)のです。
「一片の紺碧が空にある限り天候を絶望視してはならない。されば、猛く生きよ。猛き胸倉を運命の矢面に立てよ!」(ショーペンハウアー『幸福について』)
夜は必ず明ける。朝を向えると新しい生命が生き吹くのです。
だらだら、ぐずぐず、明日やる明日やる
・・・だから、嫌われる!