『だから嫌われる』第28条 人間好きであれ
『だから嫌われる』
第二十八条 人間好きであれ
真に人間好きの人は他人の生活に興味を失わない。自分の生活よりも相手の生活に力こぶを入れたがる。人のためには馬鹿だと言われるほど骨を折ることを厭わない。
しかも一人や二人だけを相手にするのではなく、触れ合う人、睦(むつ)び合う人、誰にでも労を惜しまない。それが趣味になっている様な人がある。道楽であり趣味であるほど人間好きであれば、人によろこばれるばかりでなく、自分自身も幸せだ
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真の人間好きは、古今東西を問わず母親でありましょう。産み落とした我が子を見つめる眼差しは、最高の愛の表現といえます。聖母マリアが子を抱く姿です。母親の子育てはいかに苦しくとも、子の生命に持てる力をすべて注入する喜びのひと時でなければなりません。
それは、子孫を残す母親の使命であり義務でもあるのです。この見かたを他人に広げていけば、本条の真髄を示すような気がします。他人にも母親の愛をもって接することができる人は、慈愛に満ちた表情となり、柔和なる物腰しに現れ、そしてその言葉も優しくなります。
その極致にまで至った人のひとりは“マザーテレサ”です。
マケドニア(旧ユーゴ)から極貧のインドに単身渡り、道端に見捨てられた一人をまず助け、またひとりと貧しい人の中でも最も貧しい人へすべての愛を捧げたのです。そのマザーがある時「最も悲惨なことは、自分が誰からも見捨てられていると感じること。つまり、
食べ物の飢え(Hunger of Food) ではなく、
愛の飢え (Hunger of Love)です。
とスピーチされたのを聞き、とても心が動かされました。
今の日本はどうでしょうか? 多くの人が飽食により肥満に苦しんでいる一方では、幼児虐待や少年の殺人などが相次いでいます。親や教師などを含め、私たちは、子供に充分な愛を注いでいるでしょうか? 物質的な豊かさの向上が、愛の貧困をもたらし、その結果、愛の飢えを増やしているのです。
私は、毎日曜日19時半NHK「ダーウィンが来た!」を見るのを楽しみにしています。
それは、危機管理の専門家として、食・生殖という動物や生物の生き方に危機管理の極致を学べるからです。その時、子育つ中の親に、子への究極の本能=愛を見るのです。本来の親の務めと言えます。
マザーの崇高な行いをそのまま、まねすることはできないにしても、その精神を見習い、愛の飢えを少しでも埋めてあげることは誰にでもできることでしょう。大それたことではなく、周りの人たちにちょっとしたお役に立つことです。それが心に幸せを見出すひとつの道です。その一つ一つが積み重なり、大きくなるのです。
人にはそれぞれ事情があり、異なった境遇におかれています。自分にその気持ちがあっても“今は”できないことも多いのです。 そんな場合には、どんな形でも、どんな対象でもいい、何かをやってあげることです。たとえ気持ちだけでもそこに思いを馳せること、想いを寄せることが大切ではないかと思います。
古歌にもこうあります。
「梅は匂いよ 桜は花よ
人は心よ振りいらぬ」(『山家鳥虫歌』)
そういった、だれかのちょっとした気づかいやわずかな愛を感じて、密かに暗涙をもよおすとき、人は本当の自分の心に素直になれるものです。
人に好かれる能力は尊い。しかし、人を好きになる能力はもっと貴(たっと)いものです。この能力を高めるよう、日々の言動・姿勢を省みて修養を重ねることは、他人を想うことによって自分を高めることもできる優しい方法であります。
これには何らお金はかかりませんが、得られる価値は無限といえましょう。
「人はだれも、自分の力にかなう限り、他人の幸福を図る義務がある」とのデカルトの言葉が心に染み入ります。
嫌いが嫌いを呼び、好きは好きを呼ぶ。
骨折るのは真っ平御免、関わるのも嫌
・・・だから、嫌われる!