『だから嫌われる』第27条希望を捨てない
『だから嫌われる』
第二十七条 希望を捨てない
外れても外れても希望を捨てないで新しい目標、新しい希望を作って行く様なたくましい人は、見ているだけでたのもしいものだ。そう言う人は他人にもまた明るい希望や期待をかけて行く。人を見捨てるということがない。
人に期待されることは嬉しいことである。人に期待されている間は失意せずにいられる。自信と言うものは、他人が期待してくれることによって強くなって行くものだ。また努力も生まれてくるものだ。
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「青春とは人生のある期間ではなく、心の持ちかたを言う。
年を重ねただけでは人は老いない。
理想を失うとき初めて老いる。
70歳であろうと16歳であろうと、
人の胸には、驚異に魅かれる心、事に処する剛毅な挑戦、
おさな児のような未知への探究心、人生への興味の歓喜
人は信念と共に若く、疑惑と共に老ゆる。
人は自信と共に若く、恐怖と共に老ゆる。
希望ある限り若く、失望と共に老い朽ちる。
というサムエル・ウルマンの『青春』詩は、年代を超えて限りない勇気を与えてくれます。マッカーサーも座右のことばにしていたそうです。
自分自身が希望を捨てずにひたすら努力することも大切でしょうが、そのきっかけとなるものは、人からの期待を感じているときです。
大きな期待を一身に受けることは、何ものにも変えがたいものがあります。その結果実力以上の力が発揮されるものです。その人の期待に応えられたい一心で努力することも多いのです。
その期待が尊敬する人、敬愛する師匠からのものであればなおさら強い動機付けになります。期待の数は多いほどいいのですが、質と量の要素も大きく、たとえ一人であってもいいのです。もっとも愛する人、愛してくれる人からの期待は比較できるものはないほどです。
その最たるものは親の愛ですね。子は生れて、這えば立ち、立てば歩めと祈る両親の期待を全身に感じて育ちます。親からの励まし、期待によって勇気を得て、未知に挑戦し、そして自信を深め、次への期待に胸を膨らませます。また、恋人や妻、あるいは子供など身近の人からの願いも同じでありましょう。
会社では、上司や先輩です。期待される範囲や人数が広がれば広がるほど社内的にも、社会的にも幅広い名声を得て、より影響力のある仕事をしていることになります。
その期待に少しでも応えられた結果、ともに喜んでくれる人が多いほどその喜びは倍加し、うねりのように広がります。あたかも応援「ウエーブ」のように。
とは言っても、なかなかうまくいかず、期待に応えられない時の方が多いものです。つまり、失敗の方が多いのが世の常、そうそう希望通りはいきません。
「失敗は無為に勝る」とはいっても、失敗による心のダメージは大きいものがあり、その最中(さなか)においてはなかなか脱出はできません。そんな時に、一緒に悲しみ励ましてくれる人の存在はありがたいもの、次の希望の火を点す源となります。
新渡戸稲造は、人生に浮き沈みはつきもの、たとえ、逆境に陥ったとしても「海の底にも都あり」と思って目の前のことに全力を尽くし、行きづまれば、少し爪立(つまだ)って「はて、この先は・・・」と前方を眺めるよう励ましています。
一時的な困難のためにヤケになったり自暴自棄になったりせずに、ぐっと我慢する。そして、この先、生きている間には、一条の光明が前途に輝き、希望の光が見えてくると信じていましょう。どんな暴風雨がきても、暗雲の上にはいつも太陽がさんさんと輝いていることを忘れてはなりません。
16世紀のイタリアの思想家マキアヴェッリは「運命がなにを考えているかは誰にもわからないのだし、どういうときに顔を出すかもわからないのだから、運命がほほ笑むのは誰にだって期待できる。それゆえにいかに逆境におちいろうとも、希望は捨ててはならない」と運命に立ち向かうよう激励するのです。
「立ち向かう 人の心は鏡なり
おのが姿を 写してや見ん」 (黒住宗忠、幕末の神道家)
もっと大切なことは、人に期待をかける気持ちを持ち、励ますことばをかけてあげる優しさをいつも心のどこかで温めておくことでしょう。
人に希望を捨てさせない、常に期待を抱いてあげることの方が余程次元が高いのです。これには、地位の上下や貧富とは無関係です。
人への期待の質量が、自分への期待の質量をも増やし・高めることを忘れてはなりません。
すぐに諦め、もう捨て鉢 ・・・だから嫌われる