『だから嫌われる』第25条 褒める力
『だから嫌われる』
第二十五条 褒める力
邪気なく、功利なく、見栄でなく、又皮肉でなく、真から人の長所をほめることのできる人、これはなかなかできないことである。悪くすればお世辞を邪推されることもあり、何かの含みかと取られることもある。見当ちがいのほめ方をすれば頭が悪いと馬鹿にされよう。何事にもこだわらず真情を以って人をほめる事のできる人は、すぐれた人である。
確かな人に、地味なほめ方をされて気を悪くする人はない。
人間はだれでも心から認められ、惜しみなく誉められたいと願っています。自分の真価が評価されて、自分が重要な存在だと感じたいのです。お世辞ではなく心からの賞賛に飢えているのです。
褒めるためには、相手の言動をじっくり観察しなければなりません。男女を問わず、服装や髪型の変化、持っているもの、身に着けているものに対して、ちょっとでも褒められるとうれしいものです。
もしその人に好意を抱いている場合は、なおさら嬉しくてその日は一日中何かしらうきうきした気分になり、声も少し上ずり気味になるのを感じるものです褒め言葉はなくても気がついてくれただけでも、ひとり密かに心のときめきを覚えます。
褒め上手な人は
・思いやりに満ちた人
・人に関心をもち人間関係を大切に思う人
・コミュニケーション能力に富む人
・やさしい人
でしょう。このような人はどんな集団・組織の人たちともうまくやっていける人です。
しかし、ほめる裏には、多かれ少なかれ、何らかの下心がある場合が多いことを認めなければなりません。自分の胸に手を当てて、褒めた時の心境を謙虚に思い出せば自ずと判るでしょう。
褒めることによって気に入られたいとか、歓心を惹きたいとかの場合です。もてない男の心境と同じ・・・良く判ります。
したがって、その褒め方にも程度があります。あまりにも大げさな表現や調子はずれの褒め方は侮辱にもなりかねないのでよく注意した方がいいのです。
本人が褒められるとは思っていない、むしろうまくいかなくて恥じ入る気持ちさえもっているような時に褒められた場合には、素直に喜ぶ人もいますが、「そんなことを褒めるような人は何か別な狙いがあるにちがいない」と疑いの目で見る人もいるのです。
表現にしても、大げさな形容詞で褒めるよりも、気持ちを制した褒め方には品があり、またその方が真の好意が伝わるものです。下手に誉めて気分を害させることもあるので注意しなければなりません。人は自分が信じたいように信じるものです
子供が何かに上達するプロセスも、ほめられることによって自信をもち、さらに励み、それによってさらに上達。それがまた褒められて向上の意欲がますます高まる・・・といった繰返しです。
褒めるときには、その場の状況も把握する必要があります。二人だけか第三者がいるか? いるとしたらどんな人が何人か?などです。もちろん、目の前で褒める場合もあるし、居ないときに第三者に対して褒める場合もあります。また、コトバで褒めるのか、書面で褒めるのかによっても異なります。とにかくその状況は千差万別なのです。
相手の立場、褒められたときの心情、褒めるコトバとその程度などなど一瞬の間に考え、判断する必要があります。決して不用意なことばづかいをしないこと。つまり、褒めることによってその人がどう感じるか? 第三者がどう見るか? 変なかんぐりをされるようなことはないか? なども考える必要がありましょう。
私たちは、褒める力を向上させる一方で、本当に今褒めたがいいのか?
を瞬時に考え、実際に褒める際には、TPOに応じてどのような表現で褒めるのか?多彩な褒め方の中から、選りすぐった褒め方をするように細やかな注意を払いましょう。その時の相手の心情を察して、決してその心・名誉・プライドを傷つけてはなりません。
とはいえ、何でも誉めることに意義があるといって、愛想がよすぎる人はそのコトバに神経を使った方がいいでしょう。
アリストテレスの愛弟子テオプラストスが「お愛想とは、真から相手のためを思う心もないのに、巧みに相手を喜ばせてしまうような付き合い方である」と戒め、自分が気に入られると見なすことなら何であれ、口にもすれば行いもするようなへつらい人間になるなというのです。賞賛と世辞は紙一重でもあります。
つまりお世辞とは何らかの自分の利益になるように戦略的目的を持った賞讃ともいえます。
そこで賞讃にしてもお世辞にしても、誇張してみたり冷静なトーンで行ったりして相手の顔色を見ながら初期の目的達成に力を注ぐのです。
エマーソンでさえ「人は皆お世辞が大好きだ。騙されなくてもお世辞を言われるほど自分が重要だということだから」と冷ややかです。
お世辞は「何の見返りも期待せずただ送るだけの贈り物にも、利益を求める賄賂にもなり得る」(リチャード・ステンゲル著『おしゃべりな人が得をするおべっか・お世辞の人間学』)のです。まず身につけるべきことは、褒めることを見出す・気が付く能力です。
もちろん誰でも褒められる方がいいに決まっていますが、誰にどのように褒められるかも大切です。人は自分の都合のいい人を都合の良い時に、都合のいいように褒めるものです
ほとんどの場合は、自分のために、自分が利益あるように、自分とその周りがよくなるように、誉めていると思ってもいいのです。本能的にそのいやらしさを感じる感性はだれにでも具わっているもの、決して見逃されることはありません。誉めてくれる人の人格が高ければ高いほどありがたいものです。
特に、尊敬する人からのお褒めの一言に飾りは不要です。単に「良かったね」と言ってくれるだけで、心が天を駆けめぐるものです。
「誰もが称賛を喜ぶものだ」とリンカーンも納得していますが、よからぬ人から誉められることには要注意です。「ほめ殺し」という言葉もあるくらいですから・・・。
佐久間象山は
「誉(ほまれ)によりて自ら怠らば、すなはち反って損せん」(誉められても、怠慢になれば損する。逆に非難されても発奮すれば益になる)と戒めています。
決して褒めない、褒めすぎる
・・・だから嫌われる