『だから嫌われる』第15条 楽天家であれ
『だから嫌われる』
第十五条 楽天家であれ
心の中に苦悩があれば自然と顔色に現われる。苦しんでいるのを見るのは、人間性があればあるほど苦しいことである。
我々は人の苦労まで負いたくない。同情はするけれどもあまり好ましいことではない。何時も深刻な顔をされているくらい、いやなことはないものだ。 苦は捨てようと思えば捨て得るものである。苦労性の人からはだれでも逃げて行く。むしろ無謀な楽天家の方がいい。 感情は伝染するものだからである。
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「若いときの苦労は買ってでもせよ」と言いますが、人間生きている上で悩みはつきもの、好むと好まざるとにかかわらず、年をとればとったで、大小さまざまな悩みがやってきます。
米国の詩人ホイットマンの言葉は、どこまでも勇気を与え、楽天家への道を拓いてくれます。
「寒さにふるえた者ほど太陽をあたたかく感じ、
人生の悩みをくぐった者ほど生命(いのち)の尊さを知る」
何か苦しいことに遭遇するとき、この言葉は、その苦しさの軽重・浅薄にかかわらず、また人間の有名無名・老若・豊貧・立場等々にかかわらず、何がしかの励みを与え、鼓舞し、そして救いをもたらしてくれます。
社会には、生きるのに苦労し、苦悩し、苦闘する三重苦の人の方が数多く、安穏(あんのん)と暮らせる人は少ないものです。日々刻々、飛んでくる苦難と立ち向かい、乗り越えていくのが人生です。たとえ幸せそうに見えても、三苦のひとつくらいあるものです。
人生に困難はつきもの、いや困難を振り払い、あるいは闘いぬくことこそ人生なのです。
そんな時に、「そうだ!これを克服すれば、太陽がよりあたたかく感じられるのだ」と思えば、悩みのトンネルにいても遠くとも向こうに一筋の光明を見出し、凛々たる勇気が湧いてきて、何とか乗り切ろうとします。
すると、少しでも同じような境遇の人の心を解し、情を同じくし、ともに手を差し伸べようという気持ちにもなりましょう。
悩みをくぐればくぐるほど、いのちの尊さがわかってくると思えば、くぐるのを楽しみ、くぐる毎に小さな喜びを見出し、誰もいないところで小さく、しかし、力強く拳(こぶし)を握り締めるのです。すると心の底からふつふつとした笑いがこみ上げてくるものです。
いつしか、どんなに「苦」の時においても、眉間の皺が伸びて凛とした目と化し、相手にやさしいおだやかな表情がかもし出されてくることでありましょう。
そうです。楽天家の本質は、朗らかなのです。
ショーペンハウアーも
「朗らかさは無上至高の財宝である。われわれはこの財宝の獲得 維持増進を他のどんな努力よりも重く見るべきであろう」
(『幸福論』)と明朗快活な生き方を勧めています。
石原裕次郎さんに可愛がられた俳優の片岡五郎さんに、話し方を学んだときいい言葉に出会いました。
「顔は変えられないが、顔つきは変えられる」
「顔は、実際見た人はいない。自分の顔は相手のためにある」
心の持ち方ひとつで‘意識的’に表情を調整することができるものなのです。それは自分を高めるひとつの修養にもなります。
相手がいつも心地よいような表情を心がけてみましょう。 人生とは世の中のために顔という能面を作る日々といえるのです。自分にもそして、相手にも何かの変化が、きっと、生まれることを信じて・・・。
森信三先生が、自分に与えられた全運命を感謝して受け止め、「楽天(らくてん)知命(ちめい)」すなわち「天命の信ずるがゆえに天命を楽しめ」と激励するように、ちょっぴり無謀な楽天家は、きっといつも朗らかで、果敢なる顔つきをしていることでしょう。それが相手にも伝染し、その周りにも伝播していくのです。
小さくとも、何か波紋を巻き起こす笑顔の渦の中心になりたいものです。
眉間に皺寄せ、ため息ばかり・・・だから嫌われる