「だから嫌われる」14条 欲があっても差し支えない
「だから嫌われる」
第十四条 欲があっても差し支えない
欲のない人くらいつまらないものはない。欲が悪いのは人の迷惑になる 場合だけである。魚心(うおごころ)に水心(みずごころ)、お互に共通の欲望を満たし合うことで、人間と人間は親しくなれる。欲のない人に魅力はない。「あれをしよう、これをやろう」と話し合うところに面白さが出てくるのだ。少しも欲に引っかかりのないような人は、話にも仕事にもならない。
好奇心や興味の持ち合える所に親愛の情も生まれる。
欲のない人間は冷たいものである。
少年よ 大志を抱け! Boys, be ambitious.
それは金銭のためでも、 Be ambitious not for money,
自己拡大のためでもない。 or for selfish aggrandizement,
名声というあのはかないもの not for that evanescent thing
のためでもない which men call fame.
人間としてあるべきすべてを Be ambitious for the attainment
獲得するために、大志を抱け of all that a man ought to be.
「少年よ、大志を抱け Boys be ambitious.」
札幌農学校のクラーク博士が残した有名な言葉は時代を超えて胸を打ちます。
この大志は大欲・天欲に通じます。マズローは人間の欲求を生存の欲求から自己実現の欲求まで五段階に分けましたが、できるだけ上位の欲求を追求していきたいものです。人間の求めるものは、富・名声・名誉といった財産や位階など自己の外部にある事物を頼みにしていますが、もろく崩れやすいものです。
そこで人間の能力向上の欲、品格や人格を高める欲など上等な欲を持つよう心がけましょう。その天欲には、上限はなく、国境も時差もなく、地位・豊貧・老若にも無限であり、天欲獲得への好奇心は工夫を生み、アイデアを湧き出し、人を励ます力を高めます。このような人は重心が自分自身の内にあるために、その精神はいよいよ高揚し、何ものにも妨げられずに自分の個性を思う存分に発揮するのです。
その結果、個人では歴史に残る発明発見などの業績や芸術作品・著作を創り出したり、組織においては優れた成果によって社会に貢献する豊かな企業を造り出すのです。
半面、中国では
「無欲を自分の住み家とし、気楽な生き方を守るという生活
から生ずる人生のよさは、非常に淡白な味わいがあり、か
つまたその楽しみは最も長続きする」(『菜根譚』)
と、間違った欲・過ぎた欲に走り、権力や勢力へ阿(おもね)ったり過剰(かじょう)に謙(へりくだ)ったりすることを戒(いまし)めています。
「欲」の前に「意」をつけてみましょう。何かしら意味が変わります。欲には淡々としていても、意欲が旺盛な人間は生きる欲も旺盛です。温かい人間とは思いやり欲をいつも増やして豊かな土壌にできる人です。
それはバイタリティとも言えます。表面ではわからなくとも心の奥に潜む意欲が望ましいものです。意欲的な人はいつでもどこでも歓迎され、それが継続すると尊敬され、そして敬愛されるようになります。意欲には貧富の差はなく、地位・年齢にも差はありません。その気になればどの位でも出すことができます。
意欲を心に抱き、それを増やしましょう。
江戸の儒学者佐藤一斎も、「欲に公私があり、人のための公欲は大きくなるほどよく、自分のための我欲は少なくなるほどよい」ことをわきまえておくように諭すのです。
とはいっても、誰しも願う究極的な欲は「幸福になりたい欲」であり、富も名誉も地位もすべて、幸せが欲しいからではないでしょうか?
「自分自身の幸福を確保することは、義務である」とカントが言うように私たちは、自己の能力を最大限に発揮することは自分に対する義務であり、親が子を、先生が生徒を育むことや他人に親切にすることも他人に対する義務と思うことです。
「義務に基づく仁愛の念」は、人間だけがもつ崇高な心情でありましょう。そう思って行う行為は実践的愛であり、気高い価値があるものです。
「毎晩、眠りにつく際に、
明朝また目ざめることを喜びうる者は幸福である」
と安らかな眠りの後に目覚めたら、一日喜んで自分の運命に従うようにヒルティは勧めています。これがもっとも実用的な幸福のあり方なのです。
オレがオレが、ワタシがワタシが ・・・だから嫌われる